カルメン・マキ&OZ - 午前1時のスケッチ
♪真夜中の街角
♪しゃがみこんだ女
彼女には転機が2度あった。
寺山修司の劇団「天井桟敷」に出会ったこと、そしてジャニス・ジョプリンのレコードに出会ったこと。
この2つの出会いが、まだ17歳でしかなかった彼女を歌手に変え、更に20歳の彼女をROCKに誘(いざな)った。
最初の出会いで、彼女はまず天井桟敷に入団し、劇団員となる。
その初舞台で彼女はCBSソニーの目に留まり、歌手としてスカウトされる。
寺山修司が歌詞を書いた「時には母のない子のように」は、彼女を全国に認知させた。
この歌のヒットのご褒美に、彼女はCBSソニー社長からレコード数枚とプレイヤーをプレゼントされる。
この中にジャニスのレコードがあったという。
彼女はジャニスに感化され、ROCKへの転向を決意する。
その後2年ほどは、売れず、ずいぶん大変だったらしい。
だが、OZの結成で彼女の音楽性は明確になり、多くの支持を集め始める。
春日博文によるシャープなギター、そしてマキの圧倒的なボーカル。
OZは日本語として違和感の無い、ヘビーでパワフルなハードロックを体現させた。
70年代前半の日本において、OZのサウンドは、サディスティック・ミカ・バンドと共に、「日本語によるROCK」の頂点にあったと思う。
当時の演奏を今聴いても、サウンドクオリティーは十分に高い。
時代は感じさせるが、音に隙が無い。
そしてなにより、彼女のボーカルが力強く、独自の世界観を感じさせる。
これほど存在感のある女性ボーカリストは、未だにそう多くは無い。
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