藤子・F・不二雄 - モジャ公
宇宙に家出!
なんと壮大な話だろう。
地球を飛び出し、知らない惑星を冒険し、ジャングルで恐竜に追い回され、超能力を持つ宇宙人に殺されかけ、小惑星帯を突っ切る危険なレースに出る。
ぼくら読者がワクワクハラハラしないわけがなかった。
藤子・F・不二雄の作品の中で、おそらく最もSFマインドが濃厚で、スケールの大きな話だと思う。
だが、これほど面白い話なのに、連載時は評判がいまいちで、打ち切りになった。
実は「モジャ公」は、同作者の「21エモン」の焼き直しであり、それは作者も認めている。
というか、「21エモン」の打ち切りが残念で、それでキャラクターや設定を変えて、再挑戦したのが「モジャ公」だった。
私には「21エモン」も十分面白かったが、確かにキャラクターはいまいちだった。
その点、「モジャ公」は確かに改良されていたし、ストーリーの巧みさも、コマ割の斬新さも、大ゴマの絵の迫力も、あらゆる面で藤子の最高傑作と言っていい。
にも関わらず、最終話まで連載できず、打ち切りとなったことは、藤子にとってどれほどショックだったことか。
この漫画だけが原因ではないが、当時漫画界にも「SF漫画は当たらないから連載しない」という流れが出来つつあった。
SFについていける読者は、決して多くはなかったのだ。
ここで話は少し飛ぶ。
私は「モジャ公」のコミックは、最初の虫コミ版を持っていたが、ある日コロコロ文庫版を読んでショックを受けた。
最終話のエンディングが描き換えられていたのだ。
元々のオリジナルは打ち切りのままだったから、終わりも唐突だった。
しかし、だからこそ、この冒険の先を夢見られた。
(より正確に書くなら、連載時の本当の最終話は、単行本に収録されなかった。描き換えられたのは、連載時の最終話の一つ前の話である。)
一方、描き換えられたエンディングは、エンディングとしての体裁だけはあったが、キャラクター達のセリフがあまりにもらしくなかったし、絵もバランスが変で、藤子ではなくアシスタントが描いたものと思われた。
私はこの描き換えを、作品に対する冒涜だとさえ思った。
それほど私はこの作品に思い入れがあったのだと、改めて知った瞬間だった。
その後、最終話の修正は、1989年に出た愛蔵版からのものだと分かった。
藤子が存命中だから、一応は彼の判断の下、描き直されていることにはなる。
愛蔵版には、修正版と共に、オリジナルも特別収録として収録されていたが、コロコロ文庫版では修正版しか収録されなかったのだ。
藤子は、「モジャ公」を打ち切られたショックから抜け出せなかったのかもしれない。
だからこそ、愛蔵版の話が来たとき、せめてもの体裁を付けたいと思ったのだろう。
しかし、この描き換えに彼が本心から納得していたとも思えない。
描き換え部分の唐突さ、そして絵のバランスの悪さが、藤子のやりきれなさを物語っているように、私は思う。
ちなみにアニメ版は、オリジナルとは全くと言っていいほど異なっているらしい。