桜場コハル - みなみけ

10月 27 2013

ズレの美学、あるいは、間の悪さへの優しい誘い。
あるいは、固まること、呆れることの、居心地のよさ。
過剰ではなく、微妙なすれ違いがかもし出す、淡々とした、それでいて暖かで落ち着いた、和める生活観が、このギャグ漫画にはある。

普通、ギャグ漫画は、過剰に笑いを取ろうとする。
過激と言い直してもいい。

極端なデフォルメ。常識外れの反応。異様なほどの激しい突っ込み。
そうした「過剰」が多くのギャグ漫画を加速させてきた。

けれど、みなみけは、そうした手法を取らない。
まず絵が止まっている。
動きをあまり出さない。

日常的に「すれ違い」や「勘違い」は大量に起きるが、それは決して大きな事件にはつながっていかない。

すれ違いのギャグは、普通なら激しい突込みを入れたくなるところだが、みなみけでは、すれ違ったまま、淡々と次のシーンに移動してしまう。

読者は笑いのタイミングを外されてしまうのだが、むしろ笑いのタイミングを外されたことが、次なる苦笑につながっていく。
眉毛を八の字に落とし、おいおいと密やかに心中で突っ込みを入れながら、読者は優しく、穏やかに、にこやかに、登場人物たちを見守ってしまう。

これは「天然」への萌えだろう。
少々間抜けで、じれったくて、でも可愛い。
だからいくらでも許してしまえる。
許すどころか、愛らしくて仕方が無い。

そこにあるのは、無垢な子供を眺めているときの、あるいは愛玩動物に魅入られたときの、思わず抱きしめたくなるような愛だ。

これは、あずまんが大王の発展系の一つでもあるだろう。
あずまんが大王は、萌えを効果的に膨らますために、また同時に、各キャラクターの個性を強調するために、「過剰」と「すれ違い」を交互に使い分けていた。

だが、みなみけは、あえて「すれ違い」だけで場を構築してしまった。

結果、ギャグは小粒にはなったのだが、その代わりに、萌えはこの上ないほど、大きく強調されたのである。

リリース: 
2004年

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