あんぜんバンド - 13階の女

8月 3 2015

いつも騙され続けた 彼女は運が悪い
いい人だと思っても やっぱりみんな同じ
彼女にはもう こうするしかないのだ
13階の屋上から 身を投げること

知る人ぞ知る、日本ROCK史に残る名曲。

この曲は彼らの代表曲であり、シングルカットもされたが、残念ながらあまり売れなかった。
当時、私の知人の大阪人に、暗いとか、眠いとか、散々に言われた覚えがある。

けれど私は、暗いとか明るいとか、そういう問題ではないと思っていた。
おそらく彼らは、当時にしてはスマート過ぎた。
しかし一方で、あっさりしたサウンドを求めているのか、凝ろうとしているのか、今ひとつ分からない感じもあった。

実は彼らは過度期にあったのだ、と知ったのは、ずいぶん後になってからだ。

あんぜんバンドは、当初、スリー・ピースのアメリカン・ロックを目指していた。
だが、プロデビューの誘いがあった頃、ギターとサックス兼キーボードが加わり、サウンドの方向性が、次第に変わりつつあった。

パワーで攻めるバンドから、より技巧的で洗練されたサウンドのバンドに、変わりかけていたのである。

しかし彼らは、どっちの方向性を選ぶべきか、まだ迷っていた。
最初のアルバム「アルバムA」では、公式メンバーは三人で、後で参加した二人はゲスト扱いになっている。
そして、その迷いがサウンドにも現れていた。

アルバムAは、曲のオリジナリティは強く感じられても、悪く言えばどこか薄っぺらく、密度が決定的に不足していた。

この曲は長沢博行(現在は長沢ヒロ)が書いたもので、私はこの曲には頭脳警察の「さようなら世界夫人よ」と似たセンスの良さを感じるのだが、そのセンスの良さを活かすだけのアレンジは出来ていなかった。

シングル・カットされたとき、レコード会社はストリングスを加える事で、よりキャッチーで聴きやすいポップスにしようとしたようだが、その目論見はむしろ裏目に出ていたと思う。

力不足であった、と言ってしまうのは簡単だが、もし彼らが優秀なサウンド・プロデューサーに出会っていたら、アルバムの完成度は遥かに上がっただろうにと、残念に思えてならない。

アルバムAを出した後、最初から在籍していたギターの相沢民夫は脱退し、バンドは四人構成となる。

そして翌年に出したセカンド「あんぜんバンドのふしぎなたび」では、中村哲のサックスとキーボードが多くフューチャーされた。
全体的にプログレ色が強くなり、アメリカンのあっけらかんとしたサウンドと、ブリティッシュの凝ったサウンドが織り混じった、独特の空間を作り上げていた。

けれど、長沢博行の書く曲のシンプルな良さは、むしろ薄まってしまったかもしれない。
セカンドは一部から高い評価を得たが、おそらく、その割には売れなかった。

あんぜんバンドは、日本のROCKを代表するバンドになる可能性を、十分に持っていた。
しかし、それをうまく活かせなかった。
ライブでは定評のあるバンドだったが、レコードでは持ち味を生かしきれなかった。
私の中では、未だに「惜しいバンド」なのである。

リリース: 
1975年

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コメント

ユーザー ちゅん の写真

残念ながら、あんぜんバンドのサウンドはYouTubeには登録されていなかったので、SCANCH版を貼っておく。

歌い方はSCANCHらしいちょっとくどい感じになっているが、元々のシンプルなメロディーの良さは十分伝わると思う。

ユーザー ちゅん の写真

セカンドに収録されていた「偉大なる可能性」があったので。

これも良い曲だ。

ユーザー ちゅん の写真

なんと、ウラワ・ロックンロールセンター(URC)内にあんぜんバンドのオフィシャル・サイトを見つけました。
当時の貴重なライブ音源が公開されており、その中には「13階の女」も!
 


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