畑中純 - まんだら屋の良太

9月 25 2013

この作品は漫画サンデーに、1979年から10年間連載された。
性的な描写を含む、完全に大人向けの漫画でありながら、NHKでドラマ化され、さらには映画化もされている。
当時、いかに評価が高かった作品かは、それだけでも分かるはずだ。

私は連載当時は読んでいない。
私が読んだのは、単行本にまとめられてからだ。
少々下品な表現に閉口する一方で、登場人物たちのきどらなさ、大胆さ、気風のよさ、自由さに感動した。
それは確かに、下品で猥雑でありながらも、心の洗われる話に満ちていた。

しかし、感動しながらも、同時に、世代の違いを強く感じもした。

この作品が、「日本の田舎の素朴さ、猥雑さ」を、一種のユートピアとして描いた作品だったからである。

田舎という狭いコミュニティーでは、気取ったところで、仕方が無いところがある。
互いに過去を知っているからだ。
恥ずかしくて消したい過去も、失敗で終わった恋愛も、今更隠しようがない。
自分の過去どころか、親兄弟の話すら筒抜けだ。
だから、その恥ずかしさに居直り、本音で付き合うしかない。

これは、居直れないタイプの人には、厳しい世界である。
周囲の人全てが自分の過去を知っているというのは、それだけでもきついものがある。
更に言えば、もし嫌いな人が近くにいても、逃げようがないのだ。
タフな心臓がなければ、やっていけない。

これが都会なら、いや、都会でなくても、ある程度の街なら、嫌いな者には目を瞑り、嫌な過去は忘れて過ごせる。
しかし、そこには本音のドラマは生まれにくい。
腹を割って話すということすら、都会では滅多にありえない。
恋愛も、性も、人生も、全ての人と人との距離が、田舎と都市では異なるのだ。

そしてそれは、時代の中でも大きく変わっていく。
今は、ネットを介した付き合いだけでも、生きていくこともできる時代なのだ。

私は、畑中純の描く世界に憧れると同時に、今更そこでは生きていけないだろう自分にも気付いてしまう。

私には田舎があり、かつてはそこに住んでいた。
今もその田舎を愛してはいる。
しかし、その田舎に戻っても、そこにユートピアを見ることはできないだろう。

私の視点は、良太のそれとは大きく異なったものとなってしまった。
私は良太に嫉妬を覚えつつ、失ったユートピアを本の中に垣間見る。
それは、いとおしく、しかし遠いものだ。

リリース: 
1979年

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